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超話題作「イン・ザ・メガチャーチ」から学ぶ幸福論(ネタバレ出たらごめん)

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どうも、妖精アーヤです。

今日は、朝井リョウさんの小説『イン・ザ・メガチャーチ』について書きたい!


正直に言うと、今年読んだ本の中で一番印象に残ったかもしれない。それくらい、読後にずっと頭の中で鳴り続ける作品だった。

大人になると、小説から少し遠ざかってしまう人は多いと思う。
仕事に必要な本、自己啓発本、ビジネス書、実用書。

そういうものを優先しているうちに、「今、小説を読んでいる場合じゃないかも」と思ってしまう。そんなことはないじゃろか?

私もまさにそうだった。

20代前半の頃は、1年に300冊くらい本を読んでいて、その多くが小説だった。でも、仕事をするようになってからは、どうしても“役に立つ本”を手に取りがちになった。

そんな私が、この本だけは「今、読まなきゃいけない気がする」と思った。
直感がピピピと鳴った。結果、400ページを2日で読んだ。かなり分厚い本なのに、ぺろっと読んでしまった。

『イン・ザ・メガチャーチ』は、いわゆる「推し活」を扱った小説だ。

ただし、単に「推し活って楽しいよね」「推しに救われるよね」という話ではない。
ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側。立場の違う人たちの視点から、“人の心を動かす物語”の光と闇を描いている。

だから、推し活をしている人はもちろん刺さると思う。
でもそれ以上に、SNSで発信している人、何かのコミュニティを運営している人、ファンやお客さんとの関係性をつくる側にいる人にも、かなり学びがある本だと思った。

なぜなら、現代のマーケットは、商品そのものだけでは動かないからだ。
そこには物語があり、界隈があり、信仰に近い熱量があり、誰かの孤独や承認欲求や救いが絡んでいる。

この本がすごいのは、そこを「良い/悪い」で簡単に裁かないところだ。

推し活は幸せをくれる。
でも、幸せをくれるものが、同時に人を縛ることもある。
救いになるものが、依存になることもある。
人とつながるための物語が、誰かを操る装置になることもある。

そして私は、この本を「推し活の小説」というより、むしろ「幸福論の小説」だと思った。

Xを見ていると、「本質を見よう」「抽象度を上げよう」「一歩引いて俯瞰しよう」という言葉をよく見る。


もちろん、それは大事だ。私自身も、物事を抽象化して考えることの重要性はずっと感じている。

でも、幸福という観点で見たとき、本当に“一歩引くこと”だけが正解なのだろうか。物事を俯瞰することは、たしかに賢い。でも、あまりにも俯瞰しすぎると、目の前の熱狂や痛みや喜びからも距離を取ってしまう。


「これは構造的にこうだよね」と言えてしまうことで、逆に、自分の感情に飛び込めなくなることもある。

この本は、そこを突いてくる。

幸福は、どこまで理解すればいいのか。
好きなものにのめり込むことは、愚かなのか。
一歩引いて見られる人のほうが、本当に幸せなのか。
それとも、人は時に、具体の中でしか救われないのか。

良い作品には、良い問いがある。


私は本でも映画でも、「この作品は、どんな問いを持っているのか」をかなり見ている。『イン・ザ・メガチャーチ』は、その問いがとても鋭かった。

しかも朝井リョウさんは、人物の描き方が本当にうまい。

特に、女性の描写の解像度が高すぎて、読んでいて何度も「この人、本当に女性じゃないの?」と思った。パーソナルカラー、骨格診断、MBTI、Instagramで流れてくるような言葉、女性たちのあいだにある微妙な空気。そういう細部の積み重ねが、とにかくリアルだった。

「こういう人、いるよね」
「そう言っていても、本音ではそう思うよね」
「わかる、でも認めたくないよね」

そういう痛いところに、かなり細かく触れてくる。

私はクリエイターなので、キャラクターをつくるときの勉強にもなった。
人間は一面的ではない。
言っていることと、本当に感じていることが違うこともある。


建前と本音があり、過去があり、傷があり、見栄があり、どうしても手放せない欲がある。

そこまで描かないと、キャラクターは薄くなる。
その意味でも、朝井リョウさんの人物造形はかなり学びになった。

うまい小説や映画は、読者に「これは私のことだ」と思わせる。
あるいは、「これは私じゃない」と思いたいのに、どこかで引っかかってしまう。
その引っかかりが深ければ深いほど、作品は広がっていく。

『イン・ザ・メガチャーチ』には、その“刺さり”がある。
しかも、かなり深く刺さる。場合によっては痛い。

だから、今まさに誰かを本気で推している人、ガチ恋に近い感情を持っている人、ファンダムの中に深くいる人は、読むのが少ししんどいかもしれない。
当事者性が強すぎて、そっと本を閉じたくなる瞬間もあると思う。

私は、誰かを強烈に推すという経験があまりない。
だから、比較的一歩引いた第三者の目線で読めた。
でも、もし自分がど真ん中の当事者だったら、かなり揺さぶられたと思う。

それでも、この本は読んでみてほしい。

なぜなら、最終的にこの作品は「推し活を暴く本」ではなく、「幸福について考えさせる本」だからだ。

幸福なんて、一生ついて回るテーマだ。


子どもの頃も、大人になっても、おばあちゃんおじいちゃんになっても、その時々で「自分にとっての幸せって何だろう」と考えることになる。

選択肢が増え、価値観が変わり、AIの登場で仕事や創作のあり方まで変わっていく時代に、何をもって自分の幸福を定義するのか。

それは結局、自分で選ぶしかない。

誰かから見れば愚かでも、自分にとっては救いかもしれない。
構造的には危うくても、その瞬間の自分を生かしてくれるものかもしれない。


逆に、「私は俯瞰できている」と思っていることが、ただ傷つかないための逃げになっていることもある。

抽象だけでは、人は生きられない。
でも、具体だけに溺れても、自分を見失うことがある。

そのあいだで、自分はどう幸せを選ぶのか。

『イン・ザ・メガチャーチ』は、その問いを突きつけてくる小説だった。

ちなみに、前半で少しつまずいたとしても、できれば後半までは読んでほしい。
この本は、後半にいくほど面白くなる。
読み終わったあと、誰かと語りたくなる。
一回吐き出さないと、次に進めない感じがある。

発信者、クリエイター、コミュニティを持っている人。
そして、今の時代の幸福について考えたい人。

この本は、一度読んでおいたほうがいいと思う。

「本質を見る」とは何か。
「物語に救われる」とは何か。
「自分の幸せを自分で定義する」とは何か。

その問いを、かなり生々しい形で手渡してくれる一冊だった。

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